2007年1月31日水曜日

「日本食にホンモノとニセモノがあるとする議論はおかしい」(白幡洋三郎)



きのうの日経夕刊で国際日本文化研究センター教授の白幡洋三郎氏が書いている。農林水産省がはじめようとしている「海外日本食優良店調査・支援事業」についてだが、もっともだと思う。農水省はもっとまともなことに国民の税金を使え!

要旨:
  1. 日本食にホンモノとニセモノがあると、いま大まじめでこんな議論が起こっている。
  2. 農林水産省の「海外日本食優良店調査・支援事業」の目的は「日本の正しい食文化の普及」。まっとうな日本食店にお墨付きを与える意図らしい。
  3. これに対して「政府が認定するなんておかしい」などの異論や、海外メディアも「日本がスシ・ポリス派遣」などと揶揄・反発を見せる。
  4. 確かに海外には文句を付けたくなるような変なニホン料理も少なくない。
  5. ただし日本食が皆「日本」だけで作られたものではないことを忘れてはならない。懐石料理に欠かせないテンプラもポルトガルをさしおいて日本食だと 言い張れるのか。かといってカレーやカツ丼は日本食でなくインドや西洋料理だというのも不自然。いったい日本食とはなんなのか。その答なしにホンモノとニ セモノの区別は出来ない。
  6. 日本食は食の「文化複合」と呼ぶべきもの。当初驚くような料理が出現しても、それは民衆の舌で吟味・淘汰されてゆくことになる。上からの押しつけは無理だ。

農 水省の海外日本食店の判定基準には「日本のコメや醤油を使用しているか」という項目がある由。日本の農産品の輸出促進のためとのことだが、だったらもしイ タリア政府がイタリアのヂュラム小麦を100%」使用していないパスタに「スパゲッティ」という名前を付けることを世界中で禁止しますと言いだしたらどう する? 東京のイタ飯屋は全部看板を変えないといけない。全量ホップを使ってない飲み物は世界中で「ビール」とは呼んではいけませんとECが言いだしたら どうする? 国内ビールメーカーは大打撃だ。

散人は懐石料理こそが「日本食」とする考えには異論がある。理由はぐだぐだ言わないが、下の吉本隆明の意見に近い:

「日本の食の基本は、カレーライスとトンカツ、それと煮物」(吉本隆明)


2007年1月28日日曜日

水も肥料もやらないからこそ素晴らしい花園が出来る!



今朝のNHK:
NHK「夢の花園をつくる男~北海道オホーツク」 : "北海道滝上町にある広大な花園「陽殖園」。この土地で開拓農家に生まれた園主、高橋武市さん(65)が、たった一人で50年以上にわたり造園した花園だ。植物と向き合い、対話しながら造り上げてきた巨大な庭園は、自然の中で暮らしてきた高橋さんならではの知恵と哲学がつまっている。理想の花園づくりを追い求め、北の大地に生きる高橋さんの姿を描く。"
ちょっと感動した。

花が自然のまま咲きそろう素晴らしい花園。一年中花が途絶えることがない。植物はまるで「野にあるように」丈夫に見事に咲きそろっている。

高橋さんは苗を植える時、水をやらない。その替わり霧の日を選んで植え付けをする。また苗も葉っぱより根が長いものを選んで植え付ける。根は「収入」で葉っぱは「支出」。逆だと「収入より支出が多い会社みたいなもんで倒産してしまう」と。花園には肥料も水もやらない。ハウスも使わない。その土地で育つものしか植えないからだ。同じ地面に13種類もの植物を一緒に植えている。でも花には相性があり一緒に植えていいものといけないものがあると。それは「花に聞いてみれば分かる」と。花が終わって枯れたものはそのまま放置されるが別の花が咲くので庭はいつも美しい。

チマチマした「趣味の園芸」の世界とは、全く別の世界。男っぽくていいな〜。まねをしようかな〜。

クマザサは丹念に毎年刈り込んでゆくと、二三年で勢いが無くなって草花を植えることが出来るようになるとのこと。これもメモ。


蛇足:「趣味の園芸」化しているのは、家庭の花壇ばかりじゃないな。貴重な輸入石油をじゃぶじゃぶ使ってハウスを温めて、化学肥料・農薬を一杯使い、作物の一つ一つの形に拘り、高価格化路線をまっしぐらに進むニッポンの農業もそう。

2007年1月23日火曜日

「国からお金を持ってきて県民の負担を軽くしていきたい」(横内正明、山梨県新知事)



今やっていたNHK山梨の新知事へのインタビュー番組。横内正明氏は番組中二度にわたり「国からお金を持ってくる」と明言。こりゃ当選するわけだわ。

国のお金とは、我々納税者のお金。それもほとんどが大都市圏の納税者が払うお金だ。直前のNHKニュースで報道されていた可哀想な都市ホームレスたちも消費税を払っている。大都市の生活保護者の数は比率としても地方都市よりも圧倒的に多い。彼らも消費税を払っている。通勤地獄に苦しむ膨大な数のサラリーマンたちもお給料から強制的に源泉徴収されている。彼らの払う血税を地方に安易にあてにされても困る。何でもかんでも「国からぶんどってくるお金はタダ」という考え方は、釈然としないのである。

でも、このような主張は地元住民には大いにアピールする(だから選挙に勝った)。自分たち以外の存在は所詮よそ者(アウトサイダー)であるから、国のお金とは誰のお金でもないと思っているらしい。大鍋のお金は「ぶんどり得」だというわけ。

でも、国からぶんどってくると言うのは、所詮大都市の恵まれない住民やホームレスからお金をぶんどると言うことに他ならない。今までそれに耐えてきた都市住民の不満は確実に高まっている。だから小泉自民党は圧勝できた。しかし、今また安倍長州イナカ政権となってなって、事態はまた逆行しつつあるかにみえる。地方自治体の首長が公にこういう主張をするようでは、都市住民の不満はなお一層高まり、都市住民と地方住民の利害対立がますます顕在化し、ニッポンは「連邦国家」化するのではないか?

人のお金をあてにするのは、止めよう!

Posted: Tue - January 23, 2007 at 06:57 PM   Letter from Yochomachi   名言(迷言)集  Previous   Next   Comments (10)

2007年1月4日木曜日

「日本人は時々狂ったように抽象的なことを言い出す」(塩野七生)



今朝の日経でイチバンの読み物は,なんと言っても塩野七生へのインタビュー。名言の大連発。この9面は保存版ですよ。

女史曰く:
  1. 安倍首相は人間的にはいい人で旦那さまにはいいタイプ,指導者としていいかは別問題。誠意はあるが普通の人なら飽きてしまう。ときには嘘でしか表現できない真実もある。彼は変化球を投げない人。文章の世界では,メリハリや切り返しを芸という。安倍さんは芸がおありでない。
  2. 官房長官に彼と全く違った人間を持ってくるべき。国際会議では彼の言葉をいちいち翻訳していると外国の人は分からないから,練達の通訳が必要。言っていることを半分に縮めないと我が国の国益に反してしまう。
  3. 安倍さんの支持率低迷の原因は演出がないこと。政治はドラマでありケンカ。それが嫌なら官僚をやっていたらいい。
  4. 小沢さんは勝負をしない人だ。勝負をするときに逃げてしまう。どうせ枯れるなら満開にならなければね。
  5. 日本人に違和感を感じるのは「信じすぎ」だと言うこと。民主主義も万全ではない。それなのに民主主義は絶対的な善でそれに任せればすべて上手く行くと思っている。
  6. 政治家は「有権者のニーズを汲み取って」とかなんか言うが,有権者は自分のニーズをはっきり分かっていない。政治家がそれを喚起しなければ行けない。すでにあるものをくみ上げるだけならマーケッティングの専門家に頼めばいい。
  7. 日本は「美しい国」とまでは言わなくても「いい国」になった方がいい。一つ一つ具体的で小さなことを解決して行くべき。日本人はそういうことは意外に上手いのですが、時々狂ったように抽象的なことを言い出すから困るのです。

その通りだ。「美しい国」というスローガンは,抽象的で困るな。なんとでも好きなように解釈できる言葉だ。安倍首相のホントの狙いは「美しい日本を守るために既得権者を守りましょう」ということではないか。もしくは「美しい日本を守るために現状をいじらず何もしないで寝ている総理がいい総理なのです」ということか。

Posted: Thu - January 4, 2007 at 11:31 AM   Letter from Yochomachi   名言(迷言)集  Previous   Next   Comments (18)

2007年1月1日月曜日

「どうして財産が自分のものであろうか」(法句経62)



友人の弁護士が送ってくれた年賀状に引用してあったお釈迦様の言葉。まことに味わい深い。所詮お金とは巡り合わせものだ。

引用されている法句経62の部分:
「私には子供たちがいる。私には財産がある。」と愚者は思い煩っているが、
実に自分は自分のものではない。どうして子供たちが、どうして財産が自分のものであろうか?

法句経とは現存する最古の経でキリスト教のバイブルみたいなお経。お釈迦様はエラかったことが分かる。

弁護士という職業は「財に執着する人種」とつきあわねばならないことが多く,この友人も毎年このような「哲学的」な賀状を顧客に送り,あまりお金に執着しないようにと諭しているらしい。お金にこだわるのはみっともなくて格好が悪い。食に拘るのと同じだ。

「自分のもの」なんかどこにもないのである。財とは拾ってきた猫みたいなもので,たまたま自分と一緒にいるにすぎない。あまり執着して、なぜたりさすったりしていると,プイッと向こうに行ってしまう。逆にあまり構わないと向こうからすり寄ってくる。株も同じだ。強い思い入れで買ったハイテク株が悲惨なことになり,ゼロになってもいいやと思って買った中国株などが10倍になっている。

資本主義社会においてはこのことをみんなよく承知している。資本主義とはしょせん諸行無常の世界。どんな商売も30年は続かないのが普通だ。でも資本主義の論理が通用しない前近代的な世界に住む利権にしがみつく既得権集団は「既得権は永遠に自分のものだ」と信じて疑わない。既得権に拘るのもみっともなくて格好が悪い。既得権集団は法句経を読んだ方がいい。

Posted: Mon - January 1, 2007 at 04:36 PM   Letter from Yochomachi   Money   Previous   Next   Comments (3)